○○と天才は紙一重♪
どうも、こんばんわ
お久しぶりです
なかなか文章を書くのもエネルギーがいりますね☆
あふれんばかりに言葉かわく時期もあるのですが、なんにもかけない時もある
そんな気まぐれブログにお付き合いいただきありがとうございます☆
さて、紙一重
○○と天才は紙一重っていうことわざ
昔の人ってやっぱりすごいですよね
真実を言い当ててるというか
育児中に思いついたんですけど
最近は、学校や集団にうまくなじめないとすぐ病名をつけようとしますよね
そして、支援クラスで授業したりとか
それって、なんなんだろうってずっと疑問だったんです
自分が子供のころは(30年くらい前)そんな子はクラスに一人二人いて、それが当たり前というか・・・
落ち着きがない子くらいにしか思ってなかったような
(まぁ、子供ですから、大人がどう思ってたかはわかりません)
そう思う理由の一つに、自分の子が育てにくいと感じることがある
これって、個性なんだろうかと疑問に思う
でも、今まで保育園でも、学校でも何にも言われない・・・
なら大丈夫なんだろう
心配で検索すればするほど、わけわかんなくなる
なんかグレーゾーンといいますか
普通に成長していると感じないんだろうなーって兄弟を見てると思います
だけど、悪い方に見ていったらどんどん悪く見えちゃって
もうこれは○○に違いないって
証拠探しをしてしまう
見張って、自由を奪って、よけいに苦しくなる
物事には両面があって
大人の言うことが聞けない=子供らしいのびのびした子
みんなの輪にうまくとけこめない=自分のしたいことがはっきりしている
うまくあわせられない=ゆずれない信念がある
すぐ気が散る=好奇心旺盛
わたしの考えですけど
親や周りの大人がこうに違いないと決めつけた見方をしたら・・・
その子の可能性をつぶすのではないか
いい面をみてあげればいいのではないか
そう、天才なんだと
ピカソとかも亡くなってから理解される
そのくらいの天才なんだと
凡人にはないエネルギーをもっているのだから
どうしても大人があつかいやすい子供を作ろうとしているように思えて
その子のためなのかもしれないけれど
わからないけど
みはらない
監視しない
それは心がけてます
心配すれば心配させるような子供になるから
信じて、ほっとく
あなたなら大丈夫
振り返ったときにお母さんはいつも笑って見守っているんだよーって
みんな違ってみんないい
学校という枠を離れたら、自由がいーーっぱいあるんだから