存在給ーー心屋さんのブログ読んで
どうもこんにちわ
今日は幼稚園ママとのバトミントンの予定だったのですが、体調いまいちだったので断りました。
今までだったら、約束してたらちょっとくらい無理してでも行ってたんだけど、心屋さんのブログよんでゲスいやつになろうみたいな♪
いい子すぎる必要もないし☆
がまんしすぎたり、がんばりすぎたりせず、のびのびと70パーセントくらいの力でやるっていうのに激しく共感
無理しすぎると苦しくなりますもんね
何事もゆとりが大切
で、存在給のお話
これまでも何度かブログで読んでて理解はしてたつもりなんだけど、今回またストンと落ちた感じなので
存在給とはそもそ何もできない自分がうけとれる値段
存在するだけで価値があるという考え
だから仕事をしなくても、勉強をしなくても、家事や子育てをしなくてももらえる金額
寝たきりの自分がもらえるお金
昔だったらまちがいなく0でした
だって、お金って労働の対価であったり
がんばったご褒美だと思ってきたから
結婚して、出産してまあ、3人子育てしてるしなぁ
いまなら何もしなくてももらえるかな
でも、じゃあいくらもらえるといわれて月100万円ほしいなと思ったところでもらえるわけでもなくってね
それだけもらえる価値があるんだよーって信じ切るのが大事と心屋さんは言ってるけど
うーーん、理解できるようで理解できず
でも赤ちゃんなんてなんにもできないし、迷惑ばっかりかけているのに、生活の面倒はぜーんぶだれかがみてくれるわけだからそういうことなんだろうけど。
でもそれって赤ちゃんだしなぁ
いい大人は違うよなぁ
みたいなね
でも、こないだのブログにわかりやすく事例が乗ってた
持ち家を建てましょう
となったとき、どうするか?
ふつう、貯金しますよね
頭金を貯めて、ローンを組んで、その範囲でできる家を建てる
これが一般的
というかあたりまえ
でも、家を建てるのならどんな家がイイか、間取りは、立地は、環境はってことをルンルン考えながら、家は誰かがたててくれるのを待つ
へぇええぇーーー
目からうろこでした
その考え方
でも、それこそが価値を受け取るってことですよね
何千万円かのお金をもらう価値があるってこと
日本じゃあ、こんなこと大声でいわない
建ててもらってる人もたくさんいるだろうけど、なんか自分たちで努力して建てたほうが偉いみたいな
がんばってるねー
誰にも迷惑かけないで、すごい
親にお金出してもらってないなんて偉いねーみたいなね
実際、私たちは転勤族なのでマイホームはまだまだ先です。
どうなるのか見通しもたってないし
そのための貯金もあまり進んでない
でかい家にすみたいとかいう願望もあまりない
ーどうにかなるよねー
どうにでもなるよねーって感じです
だからひそかに誰かに建ててもらおうと思っときます
そして毎日をわくわく楽しくすごしときます。
そのほうがいいことがたくさんありそう
将来を悲観して、ネガティブにすごすより
でも、そのとき誰か建ててくれたとしていいところだけうけとろうとすると話がややこしくなるらしいです
つまり、家を誰かが立ててくれる=お金をだすから口も出すみたいな
わかりやすいとこだと、親が建ててくれる=自分たちの老後の面倒をみてね♪
とかかな
それが嫌だと自分たちでやりくりして自由を勝ち取るのかなぁ
不自由だとは思わないけど
お金の部分だけ受け取ろうとすると何も入ってこないらしい
いいこともわるいこともひっくるめて受け取る勇気をもちましょう
確かに、幼稚園の役員やって大変なことも多いけど知り合いも増えた
いいもわるいもどっちも増えるなぁ☆